国債は実は借金ではなかった。

かつて吉幾三さんの「俺ら東京さ行ぐだ」が一世を風靡した。
当時はかなり奇抜で大ヒットした曲だが情報網のインフラの整備で今はこんな村の状況も一変したであろう。

 

話は変わって昭和から平成、令和の時代になってどんなに田舎でも光インターネット回線及び携帯基地置局が至る所に張り巡らされ情報化の荒波に翻弄されている田舎に居を構えている安本にとってまさに時代の追い風に乗ったところか?

 

田舎には田舎の良さがあるうえ情報網については都会に追いついたといって過言ではない。
今年の夏は南東北から南は例年より梅雨明けが早かったというが梅雨が明けても蒸し暑く部屋に設置しているスポットクーラーはフル稼働である。

 

先日、テレビ旭の土居中編集局長から『下池彰のニュースうそだったのか』の放送原稿依頼を頂き深刻ぶった顔つきでパソコンデスクに向かったが、長時間のデスクワークは彼には苦痛なので木目調のローテーブルにノートパソコンを載せて白い座椅子に腰掛け胡坐をかいて、おーいお茶を飲みながら、原稿で理屈をこねるのが日課である。

 

今回のテーマは国債は借金ではないというコペルニクス的発想の転換を番組において反映さて行くものである。
国債1000兆円=今まで誰が考えても国民の借金、いや政府の借金という説が定説になっていました。
国債は借金という考えを白紙に戻してください。

 

では借金ではないなら何なんだという疑問にお答えします。
国債は政府に預けたお金の預かり証だと考えられますので単純に考えれば現金を右のポケットから左のポケットに移し預かり証を右のポケットに移し替えただけと同じと考えていいと思います。ですから全体的に見れば借金でも何でもないのです。
政府は発行した国債を担保に民間金融機関等の日銀当座預金額を借り入れ財政支出を行います。そして最終的に国債を買い取ってくれるのが政府や日銀です。
国債は日銀が介入して償還期限が来たり買いオペを行った場合新たにお札を印刷したり民間金融機関の日銀当座預金を増やして額面で購入したり時価で処理するらしい。
政府が起債した国債を日銀が万年筆マネーやら新札を印刷してタダで国債を回収するのです。
つまり償還期限が到来した国債を日銀が預かり証として回収し日銀当座預金もしくは現金に換金してくれるという仕組みになっているだけです。
約1000兆円といわれている国債も徐々にマネタリーベースに加算されることは間違いないです。マネタリーベース とは、日本銀行が世の中に直接的に供給するお金のことです。 具体的には、市中に出回っているお金である流通現金(日本銀行券発行高+貨幣流通高)と 日銀当座預金 の合計額です。
分かりやすく言うと世の中に出回っている現金と日銀当座預金の合計の金額です。日銀当座預金があればいつでも現金を引き出せるから現金と合わせてそう呼ぶのです。
マネタリーベースが借金なら皆さんの持っている現金も預貯金の、ごく一部も借金ということになってしまいます。一見矛盾した話のように見えますが、その通りなのです。
日銀から見ればマネタリーベースは貸借対照表上の負債に当たるのです。
日銀保有の償還期限がきた国債について返済義務があるとがあるかよく議論になります。
返済義務はありません。日銀は通貨発行権を行使してして政府の債務である国債と引き換えに借用証書として紙幣もしくは民間金融機関の日銀当座預金という負債に転嫁しているのです。日銀が保有している国債は紙幣の元手なので政府が借換債を起債するというのは本末転倒です。ですので多額の借金を孫子の代に残すのかというのはおかしな話です。

 

これまで述べてきたことを整理すると元来お金の実態は貸し借りの記録で本体そのもには価値はないとのことです。例えば預金通帳なんかは典型的な例でしょう。通帳そのものに価値があるのではなく記帳された金額がすべてであるといったように、また手元の一万円札をATMに入金して現金が減ってしまっても口座の数字に置き換わっただけなので誰もあわてないのです。
国債は財政支出のために担保として起債し民間金融機関から日銀当座預金を借り入れ公共投資に使う。国債の償還期限が到来したら日銀が国債を預かり証として引き受け額面価額の日銀券もしくは日銀当座預金を新たに創造するのである。現金+日銀当座預金=日銀が保有している国債だという関係がわかります。ということは国債が発行されなければ新たなお金(日銀当座預金を含む)は発生しないということになる。
政府が日銀保有の国債を返済しようがしまいがそんな議論はナンセンスで要するに全額返済どころか国債発行残高は経済が発展するにつれ増えることは確実である。たとえていうなら野球の実況で「この回一挙3点を返しました」などといった決まり文句がありますが論理的には矛盾した表現で適切な表現では「3点を挙げました」というべきである。取られてしまった点は一点すら返せないのが事実である。たとえ大量逆転して試合に勝ったとしても取られた点は返すことはできないのである。だから国債の発行残高は増え続けて当たり前なのである。前述した通りお金の本質とは貸し借りの記録なのでお金の元手となっている国債は現金の貸し借りの需要増に比例して増え続けるのは当たり前じゃないですか?国債発行残高1000兆円につきましては政府は一切関与しない第三者と言えます。最終的に国債は日銀の介入により現金若しくは日銀当座預金に置換され、その現金をやり取りするのが個人および法人の権利、責任であって将来、新たに総額約1000兆円規模の貸し借りが発生するという事を暗に示唆するだけである。

 

安本は描き終えた放送原稿をテレビ旭の土居中編集局長にFAX送信した。

 

後日土居中編集局長から電話があり内容は「とてもな正確な情報収集から経済を洞察しているのがわかる。続編も頼んだぞ。では」そういって電話が切れた。
翌25日彼の預金口座には10万円が振り込まれていた。振込名義人はテレビ旭だった。

 

それからしばらくして彼のもとに一通の手紙が送られてきた。その内容は例の原稿の著作権を放棄しろということだった。
次の訪問看護の日、シモキタさんが「私たちが持っているお金って国民の誰かの借金ていう趣旨の事を下池さんがおっしゃっていたのですがホントですか?」
安本は「その通りです正確には現金は返さなくてもいい国債の借用証書だがね、これホント。つまり国全体の視点から見ると借金を返すというのは誰かが借金をして別の誰かの借金を返すということと同じでお金がグルグル廻っているだけなんだ」
シモキタさんは「わたしも誰かの借用証書が欲しいなぁ」と一言。
結局何が言いたいかというと国債は一時的な負債で日銀券に置換された時点で消滅し、その借金は日銀券に置き換わるのである。

 


スイスのヘッジファンドが円を売ってドルを買ったり日本国債を大量に売りさばき、ちょっとしたニュースになっているが元々持っていたものを売る訳なのでタネが尽きたら売りようがないので円安も上限が見えてきたと思う。 
遅く起きた朝は家族の一員である同居の姪が作ったトースト、目玉焼き、ウインナーを頬張りながら居間でI日報に目を通した。
その後自室にこもりiPadで朝日新聞デジタルに目を通した。それによると政府は2025年度にプライマリーバランスを黒字にする目標を立てている。今年7月の政府の試算では、うまく経済成長が進めば、25年度はまだ赤字だけど、26年度には1・8兆円の黒字になるとしている。
しかし政治団体フェア党党首の大西つねき氏の著書によると国債残高を税金で返すと確かに国債残高は減るのだがそれと同額のマネーストックが世の中から減少してしまうと分かりやすい図解入りで書いておられる。
要するに税金で国債の赤字を補填しようとするとその分だけ現金及び預貯金が世の中から消えて無くなってしまうことを書いておられるのです。
これは紛れもない事実なのです。ですので繰り返すようですが日銀保有の日本国債は償還期限が来ても政府は返済しなくてもいいというシステムにするべきである。
そうすれば、日本政府の財政破綻論は解消するのである。
しかしながら、そうすると日銀の仕事が大幅に減って余剰社員で溢れかえるだろう。
簡単に人員削減をする訳にもいかないので現状維持で借換えを繰り返すしか選択肢はない。

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